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ごあいさつ・つかさやの歩み |
大将からのあいさつ |
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「おいしく作って、おいしく食べてもらう」、 そんなお客様をもてなす心を大切に しています。 つかさやでは、タルタルソースや漬物など お客様にお出しする物は、手作りを 心がけております。
こだわりの煮魚のタレは35年間つぎ足しで 使っており、何万匹もの魚のダシが 出ています。また、うなぎのタレは27年 つぎ足して使っています。
単品料理からコース料理までご用意して おりますので、宴会や法要の際にも ご利用下さい。
つかさや大将 園部 司 |
昭和初期 |
祖父の良一が豊橋市小畷町で米穀店を 営む。空襲で二川に疎開。 父の英夫も二川に疎開。兄弟を数名亡くす。 父が生活のため若年より、製菓店にて 勤務。(食べられない時代が続いたため、 食べ物の仕事に就いたそうです) 父が茨城県結城市にて製パン工場に勤務。 職場で出会った母テルと結婚。 北九州市に工場長として出向。(司 誕生) |
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昭和37年3月 |
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独立して二川にて園部製菓を開業。 当初はまんじゅうなどの和菓子を売って いましたが、国道1号線沿いのため 食堂と勘違いして来られるお客様が多く、 お客様の要望により、おにぎりやいなり 寿司などを置くようになりました。 |
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ある日、家族が食べている夕食の風景を 見たお客様に、毎日来るので自分の分も 作ってほしいと頼まれました。
そのお客様が、お友達を連れて来るなど、 1人分が2人分、3人分・・・となっていき、 製菓よりもご飯ものの売り上げが多くを 占めるようになっていきます。
当時はケーキなども作っていました。 |
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昭和39年 |
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東京オリンピックが開催され、 聖火ランナーがお店の前を通過しました。 |
昭和41年 |
大衆食堂つかさやに改業。 息子の司が後を継ぐようにというのが 店名の由来。 昼夜食堂を夫婦(父母)にて営業。
今見ると、とてもレトロな風景ですが、 当時はこんな感じでした。 |
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昭和48年 |
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お店にトラックが 突っ込んできたこともありました。 |
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そして、現在の店舗に改築。 |
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昭和55年 |
大将の司が板前の小僧から、浜名湖で料理の修業。 |
昭和63年 |
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大将の司が実家に戻り家業を継ぐ。 |
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カウンターに水槽を置いて、 現在の魚料理の店になる。 |
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